サー・ホレス 諸田富雄六重奏団 - ホレス・シルバーの名曲を新宿"J"にて白熱のライブ録音!!
CD発売記念ライブ 2005年10月20日(木) 19:15 start jazz spot 「J」
* 寺島靖国ライナーノーツより
諸田さんのこれまでやってきたジャズそして今後もずっとやって行こうとするジャズは木に例えると幹の部分である。
実験的なジャズは葉っぱである。ちょっと強い風が吹けば吹っ飛んでしまう。実体が無いのである。それに比べて諸田さんのジャズは実体そのものだ。
…中略…
文字通りスイングするとはなにか。4ビートをガンガン響かせて勢いよく進軍するジャズのことを言う。軍隊である、汗と皮の匂いがする。汗の匂いのするジャズがいま非常に少ない。香水の匂いなんかしてきやがる。ヨーロピアン・ジャズ・トリオ、なんてね。まあ人のことはいい。諸田ジャズ。匂いのするジャズが諸田ジャズである。(寺島靖国ライナーノーツより)
* CD発売と諸田富雄六重奏団の変遷
諸田富雄六重奏団は1983年頃発足していますので、かれこれ20年以上になります。
当初はフロント2管(トランペット、テナーサックス)に3リズム(ピアノ、ベース、ドラムス)の五重奏団で始まりました。バンドスタイルとしては私の憧れや惚れていた事もあり、ジャズ・メッセンジャーズ・サウンドの追求でした。当時のメンバーは草野啓二(tp)=コンポーザー兼アレンジャー、若松考(ts)、松浪克文(p)、俵山昌之(b)、諸田冨男(ds)で草野啓二のオリジナルも取り入れ3年ほど五重奏団で活動をしました。その当時有能な若手ミュージシャンが沢山、様々な音楽を模索している状況で、池田篤(as)、岡淳(ts)、椎名豊(p)等が活躍していました。幸い各リーダーバンドに私が参加していた事もありアルトサックスを加えた3管編成を考え池田篤(as)が加入し六重奏団が誕生しました。
草野、池田両氏のオリジナルやメッセンジャーズスタイルの曲を両氏が編曲し活動を続け1988年に浅草のジャズコンテストに参加、グランプリを獲得しオーストラリアの演奏旅行を得ました。
丁度その時分に池田篤が退団し後釜に山田穣(as)が加入、オーストラリアへは山田穣(as)が参加し現地で賞賛を得ました。その後、山田穣(as)のバークレー行きが決まり一時休団、ドルコこと苅田恭子(as)が加入、トランペットも草野啓二から豊田晃(tp) にピアノは松浪克文からジミタこと久保田浩(p)に、ベースは俵山昌之から大角一飛(b)に替わり豊田、久保田両氏がオリジナルとアレンジを担当し活動を続けました。
その後苅田恭子が休団、フロント3管2テナーの時代があり臼庭潤(ts)、安保徹(ts)、野村潤(ts)などが参加、テナーの替わりや四管編成に片岡雄三(tb)、青木タイセイ(tb)、山岡潤(eup)等が参加しました。後に山田穣や苅田恭子が又戻ったり松本英之(ts)、近藤和彦(ts)らが参加したりで活動を続けました。
主な活動としては月一回新宿「J」でのライブ、吉祥寺音楽祭、小学校ジャズ鑑賞教室等のイベントです。
その後のメンバーの変更から現在ですがトランペット豊田晃、高瀬龍一(tp)から現在の宮本やすし(tp)=ミュージックディレクター兼アレンジャー、テナーサックス若松考(ts)から現在の岡崎正典(ts)=アレンジャー、アルトサックス宮崎勝央(as)、ピアノ深谷由美子(p)、永井隆雄(p)から海野雅威(p)に、ベース志村洋一(b)、林正男(b)から矢野伸行(b)に替わっています。何分にも長い期間なのでその他多数のミュージシャンに協力して頂きました。
さてボーカルを忘れてはいけません。三槻直子、マリカ、酒井リエ、安部ジーナ・マリア、宮園ゆかり、三保千春、山本愛、平松奈保子、斉藤こずえ等、現在は鶴丸はるか(vo)と一緒に演っていますがなんといっても一番長く在籍したのは中野雅晴(vo) です。
何分当バンドは大所帯ゆえにどこでも出来る状況になく演奏できる場所を確保するのが難しい中、月一度定期的に新宿"J" で出来るのはオーナー幸田稔氏のおかげでとても感謝しております。
このCDを発売するにあたり25年もお世話になっている新宿"J"で!ライブ録音で!とこだわり、このような運びとなりました。
ミュージシャンはじめ、まわりの色々な皆様にご協力頂き感謝しております。ありがとうございました。
当バンドはこれからもホットにファンキージャズの探求を継続していくつもりです。
どうぞこのホレス・シルバーのファンキージャズをご賞味ください。
諸田冨男
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